神様、願いを叶えて下さい! 願いを叶えて下さい!
私は幸せになりたい! 幸せになりたい!
そういう願い方も、一心不乱にひたすら行えば、やがて神に通ずるかもしれませんが、
同じ祈るのならば、
願いを叶えて下さい! ではなく、
(叶っても叶わなくても)「ああ~ ありがたいなぁ~」
幸せになりたい! ではなく、
(こうやって生きているだけでも)「ああ~ 幸せだなぁ~」
こちらの方が良いと思います。
実は、その祈りをするとき、我よ我よという「我」(エゴ)の心が少ないんです。
「ありがたいなぁ~」「幸せだなぁ~」というときの気持ちを感じてみてください。
どうですか? 「我」の気持ちが、薄らいでいませんか?
我が薄まっていけばいくほど、
自分が自分であろうとする気持ちがなくなればなくなるほど、
自然と同化し(溶け合い)、世界と一つになっていく。
世界と一つになっていくということは、自分自身が神の立場に近づいていくということ。
つまりは、願いが叶いやすくなるということ。
でも、さらに上があるんです。
それが、「 誰かのために 」 という祈りです。 (慈しみ、愛する気持ち)
神社には “奉納”、“奉仕” といった言葉がありますが、
その「奉」という言葉にあたります。 誰かのために、みんなのためにと願う心。
このとき、
我が無くなり(無我、無私、無心)、自分というものが消え去っている状態、
神のと同じ波動をもつ(絶対無の境地の)、崇高な心になっています。
そう、自分が神様になっているのですから、
叶えるもなにも、自分の願いがそのまま世界に反映されます。
ところで、
神社のお神札(おふだ)(=お札、御神札、ご神符)には、
『 神宮大麻(じんぐうたいま)』というのがあるのをご存じですか?
一言でいえば、神宮大麻は、伊勢神宮のお神札のことです。
(神宮:三重県伊勢市にご鎮座する伊勢神宮)
(大麻:本来「おおぬさ」と読み、お祓いに用いる祭具。麻は太古の昔から日本における聖なる植物)
その伊勢神宮(皇大神宮:こうたいじんぐう=内宮:ないぐう)には、
天照大御神(あまてらすおおみかみ) という神様がいらっしゃいます。
天照大御神は、全国約8万社の神社の総親神様であり、日本国民の総氏神様とされています。
もとより、天照大御神は、日の神、いわば太陽の神様。
私たちのこの世界を明るく照らして下さる、全ての生命の源となる尊い神様(女神様)です。
まさに、誰かのために、を願う象徴となる神様ですよね。
ちなみに、伊勢神宮(内宮・外宮の御正宮)には、賽銭箱が置いてありませんが(私幣禁断)、それは、自分のお願いをするのではなく、日本のため、世界のため、みんなのために祈ることを教えて下さっているからなんでしょうね。
話はそれましたけれど、
要は、お祈りするときには、
「ありがたいなぁ~」「幸せだなぁ~」という感謝や歓びの気持ちで祈るのと同時に、
「 誰かのために 」 という気持ちでお祈りしましょう、ということです。
それが、願いが叶いやすくなる至高の祈りです。
(「誰かのために」のとき、その人の笑顔、みんなの笑顔、日本や世界の平和を祈ってあげてくださいね)
(ご先祖様への感謝もお忘れなく。ご先祖様も神様-守護神となってあなたや家族を護ってくれています)
(お祈りの際、個人的な願い事はせず、感謝や歓び、行動決意表明だけの祈りであってもいいと思います。
自分が考えている願い事[目的や目標]を手放すからこそ、すなわち神様に身を委ねるからこそ、
自分では見えていなかった、幸せになるための本当の何かが立ち現れてくるのかもしれません)
(もちろん、願い事をしても構いません。大いに祈願してくださいね。 ただ、そのとき、重々しく何度も必死にお願いするのではなく、
軽くさらっとお願いする - 願意[お願い内容]を神様にお伝えする、という方がいいと思います。
何度も必死にお願いすることは、逆に、神様を信じていないということにもなりますので)
・・・
でも、、至高の祈り、とか言われても、そんなふうにはお祈りできないよ、という人もいるかもしれません。
ええ、確かにそうです。
なんでもそうですが、最初からすぐには上手くできないものです。(できる人もいますが)
でも、仮にでも始めれば、最初は形からだったとしても、やがては本当に、心の底からそういう気持ちになってお祈りできるときがきます。
それに、どういう祈り方であっても、お祈り自体に、幸せを呼ぶ不思議な力がありますから。
なので、毎日、たとえ1分でもいい、祈りの時間をとってみませんか。
なにかが、変わり始めます。
家でお祈りをするとき、
どのような形でもいいですけれども、
お神札を前にし、
神社や神様のことを思いながら祈るやり方が、祈りやすいと思います。
そのとき、手を合わせてもいいですし、そうでなくても。
当神社にもお神札をご用意しておりますので、
ご入り用の際はお声掛けください。
「神宮大麻」(伊勢神宮)
「若狭野天満神社」(当神社)
「龍王神社」(当神社)
<いずれのお神札も初穂料1,000円>
若狭野天満神社の摂社である龍王神社の主祭神 少童命(わたつみのみこと)〔=龍王神〕による御守護のお神札。
龍王神社の御印である「神璽」と、宮司の印「宮司之印」が押されている。
また、金銀の水引と、白龍の白を表した白い袴が巻かれている。
「天照皇大神宮(てんしょうこうたいじんぐう)」とは、
天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りする皇大神宮(こうたいじんぐう)〔=伊勢神宮の内宮〕
という意味でもある神号(しんごう)。
神璽(しんじ)と呼ばれる神社(神宮)の御印(おしるし)である「皇大神宮御璽」と、
神宮の宮司印である「大神宮司之印」が押されている。
若狭野天満神社の主祭神 菅原道真公(すがわらみちざねこう)と天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)による御守護のお神札。
若狭野天満神社の御印である「神璽」と、宮司の印「宮司之印」が押されている。
また、紅白の水引と、紫や青を基調とした縁起良い柄の袴が巻かれている。
神道には、「中今 (なかいま)」という中核の哲学があります。
中今というのは、“この世界は、過去や未来はない、真ん中の今だけ、永遠の今があるだけ”というもの。
(今、今、今、今、今・・・・・と、今という瞬間が不連続に現れ続けている)
本当は、未来なんてないのに、未来の幸せを求めて、幸せになりたい!幸せになりたい!と思い悩む。
過去なんてないのに、過去を思い出しては、くよくよと悔やみ続ける。
未来や過去ばかりに意識が向いて、今ここには意識がない。
これって、今を生きてない。
今しかないのに、大切なこの瞬間の今を、未来のための“道具”にしてしまっている。
大切な今が、未来や過去のための“犠牲”になってしまっている。
そう、あるのは今だけ、今がこの世界をつくっているのだから、
今、この瞬間、ありがたいなぁ、幸せだなぁ という気持ち(心)になれば、
この世界の全てが、即、ありがたい世界、幸せな世界となる。
言い換えれば、
外側の世界が幸せな状況になったら、内側の心が幸せになるというのではなく、
内側の心が幸せを感じるから、外側の世界が幸せな状況になる、ということ。
外側ではなく内側が先。自分の心が先。
なので、未来(外側)を求める「幸せになりたい!」ではなく、
今、この瞬間の「幸せだなぁ~」の祈り(内側)。
そんな、祈りを支える原理、それが「中今」。