私たちは、神様の世界から現れ出たものに名を付けるが、それは、単にものの表面に貼り付いているだけ。
名は、ものの片側だけしか示すことができない。
でも、その背後には、それを存在させるためのものが潜んでいる。
「美」は、「汚」があるから美しいと呼ばれる。
「長」は、「短」があるから長いと呼ばれる。
「前」は、「後」があるから前と呼ばれる。
「善」は、「悪」があるから善と呼ばれる。
「喜」は、「悲」があるから喜びと呼ばれる。
「陽」は、「陰」があるから陽と呼ばれる。
これらは、どちら側も、もともと神様の世界のもの。
このことを知っているあなたは、簡単に片側に決めつけたりはしない。
その両方を受け取る、
それは神の力を受け取ること。
流れに身をゆだねる、
それは、この自然の力と一つになること。