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病気



どうして、こんな病気になってしまったんだろう。


辛い、
不安で不安で、
この現実から逃れたい。



これまで、
いかに病気と戦うか、いかにして克服するか、
治療のことばかりに意識をとられて、病気自体についてじっくり向き合ったことがなかった。

でもよく考えたら、病気はまぎれもなく自分の体で起こっているし、
この病気だって、自分における大事な一部分なのかもしれない。



そりゃ、病気にもなるよな。


これまでずっと働き続け、
心も体も休ませてあげなかった。

でもそれは、
誰よりも優秀になって、
誰よりも働いて、いい業績を上げたかったんだよな。


・・そこには、
上司や同期に認められたい、家族や友人に認められたい、
馬鹿にされたくない、っていう気持ちがあったんだろうな。



自分でも、体が悲鳴をあげているのは薄々気づいていた、
でも、見て見ぬふりして、体に鞭打って、頑張り続けてしまったもんな。


どうして、そんなにしてまでも認められたかったんだろう。

なんで・・


みんなから褒められて、認められていなければ、不安で、自分に何かが欠けているように感じてしまうのかな。

本当の自分(何かが欠けた弱い自分)を隠すために、
その欠点を埋めて自分は有能な人間なんだと思いたいがために、無理してしまうのかなぁ。

でもそれって、自分に自信がないからなんだろうな。




自信がないのは、
自分にはそれだけの価値がないと思ってるから?


・・・

そっか、

自分は誰からも愛されていない、、そんな思いが・・


だから、
愛されるために、
過剰なまでに自分を高めて、みんなから賞賛される人間になろうとしていたんだ。


そしてそれは、
ありのままの自分でいていい、
なにもしなくても、そのままで愛される、という思いを許していないんだ。

自分こそが、自分を許していなかった。




そのことを、訴えかけてくれてたんだね。

きっと、病気さんも(体の一部も)、本当は病気になんてなりたくなかったんだろうな。

でもだれも引き受けてくれないから、僕がその役割をするよって病気になって、
言葉なき言葉で、必死に訴え続けてくれていたんだ。
こっちを見てほしい、分かってほしいって。




ごめんね、気づいてあげられなくて。

ずっと一人でがんばってくれてたんだね。


ごめんね、病気っていう辛い役をさせてしまって。




でも確かに受け取ったからね。

今はまだ、心もとないけど、

でもきっと、、必ず、一歩前に踏み出すから。



だから、大丈夫。






病気は、
自分が外に向かって(言葉で)表現できていないことや、
本当の自分に沿った生き方ができていないことが、
さまざまな症状となって現れたもの。


ずっと我慢していること、諦めていることなど、
抑え込んだ思い(感情)は病気をつくり出し、
体に現れる症状として、その抑圧された思いがそのまま表現される。


体に語りかけ、体の声を聴く。


どんな自分を許していないのか、
自分の中の「許していない自分」に気づき、
それを受け入れ、そして、それを手放す。

自分を縛っている“こうあるべき”という考え(ルール、思い込みや自己イメージ)に気づき、
それを見つめ直して、本当の自分を生きることを決断する。


そうすれば、
停滞していた氣の流れ(生命エネルギー)が、再び元の氣の流れに復活し、
体は自然治癒力を発揮する。

そして、病気は、
その役目を終えて、消えていく。





上の話は、病気を全体としてとらえたものですが、症状そのものに光を当てるやり方でも大丈夫です。

例えば、目の病気は、心の奥底にある、現実を見たくないという思いや、将来を見ることへの不安がそれを引き起こしているのかもしれません。(→更に深くに光を当てれば、これも、自分への自信のなさ、自分を許せていないこと、→もっと更には、幼少のころの親との関係-愛情や承認の満たされない思いなどが根底にあるのかもしれない)

耳の病気は、聞きたくないという思いや、他からの意見に耳をふさいで自分の考えに固執していることがそれを引き起こしているのかもしれません。(これも[以下のことも]、より深く光を当てていけば、その本質が浮かび上がってくる)

足の病気は、進みたくないという思いや、責任の重圧が足かせとなって身動きがとれない状況がそれを引き起こしているのかもしれない。


手や口や鼻や首や肩、頭だってそう、内臓のいろんな臓器もそう、

みんな何かを訴えかけてきています。


もちろん、光を当てるのは、自分の病気だけに限らず、家族の病気だって同じです。

例えば自分の子供の病気は、
(親思いの心優しい子供で)本当はのびのび好きなように生きたいのに、自分の気持ちを押し殺し、期待に応えようと必死にやってきた、でももう限界だよ、お父さんお母さん、本当の僕に気づいて!という思いが、その子の病気(行動)となって現れているのかもしれない。

或いは、お父さんお母さんはいつも夫婦喧嘩しているけど、もうそんなの見たくないよ、昔のように二人笑顔で仲良くしてほしい。でも僕に何か問題があれば、二人はその問題を一緒に心配して、そのときは喧嘩しない、という思いが、その子の病気(行動)となって現れているのかもしれない。


そう考えると、
実は、子供の解決すべき問題(病気)は、親の自分たちこそが解決すべき問題であり、自分たちが自分の心と向き合い、その奥底に潜む、光が当たるのを待っているものに気づくための、神様が子供を通して与えてくれた恵み、なのかもしれない。
そこに気づき、(辛い役目を引き受けてくれている)我が子(の魂)への深い感謝が生まれるとき、自ずと、その子の病気は消えていく。


このことは、子供に限らず、
自分の配偶者や自分の親、祖父祖母、孫など、
自分との関わりが深い人に対しても同じことが言えます。



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